Freedom Livler

こめこ団員の自己満ブログ

リヴリーアイランドを想う


 

 僕の今年買ったPCは賢くて,URL欄に“l”と入力するだけで,@危険報知のURLを表示して案内してくれる。PCを立ち上げたら,Google Chromeを開いて,URLに“l”と打ち込んで直接自分の島まで飛ぶのが習慣(結局その後ログインページ開くことになるんだけど笑)で,ついさっきも同じことをやってしまいそうになったのだけれども,もうこの機能もいらないのか,と呟いてみたりする。

 

 

 

———僕はリヴリーを始めた時期というのを正確には記憶していない。ただその時は当時冷暖房のなかったPC部屋にいて,明かりは外からの日差しだけで少し薄暗くて,暑くも寒くもなくて,5月とか9月とかだった気がしている。最近になって転生資料室で初代のバイレコを確認したら,飼い始めたのは2004年9月16日となっていた。近所の母親同士のコミュニティで話題になっていたらしく,母親がアカウントをつくってくれた。最初のリヴリーはクンパだった。リヴリーを迎えた時には、パンダのような不思議なその姿に、すごくワクワクしていた。

 

 最初は餌を買う以外はパークに出かけるということはなくて,どちらかと言えば近所の友人の島へ言ってチャットをしたり,技を掛け合ったりして遊ぶというクローズな遊び方をしていた。パークに行くと沢山のリヴリーがいた記憶は残っているけれども,小学2年生の自分は少し怖かったのだろう。ほとんどパークで過ごした記憶は無い。

 

 はじめて「インターネット上」で人と出会ったのは,1か月くらい経ってからで,たまたま放浪で書き込んでくれた当時高校生の男性と交流することになった。とても優しいお兄さんで学校の話をしてくれたり,自分がつくったチームに参加して一緒に活動してくれたりした。今思えば小学2年生と遊んで高校生が楽しかったとは思えないのだが,ここから僕はインターネットの世界へ誘われていった。その人とは1年くらいして音信不通になった(お兄さんがログインしなくなった)。いつの間にか島ごと無くなっていた。

 

 僕の家庭は転勤族だったので,頻繁に引っ越しがあった。友人関係は悪くなかったが,地元育ちではないのでいつもどこかに居心地の悪さもあった。そんな穴をリヴリーは埋めてくれていたのだと思う。リアルの友達ともリヴリーで遊びつつ,ネット上の友達とも遊ぶという不思議な状況が続いた。よく職場の人からキーボード入力の速さを褒められるが,この頃の経験のおかげだろう。

 

 

 

 「こめこ」という名前の原型になったのは,実はチーム名からで,小学6年生の頃にクラスの半分くらいがリヴリーをやっていて,せっかくだからチームを作ろうという話になった。チーム名をどうするか,という話になって僕は悩んだ挙句,給食の献立表にあった「こめこロールパン」にしようと提案した。なぜ僕がそんな提案をしたのか,なぜ皆が賛同したのかは全く分からないのだが,みんな「そうしよう!」という流れになり,「こめこロールパン」というチームが発足し,ネット上の友人を巻き込みながら,みんなで集会して遊ぶという日々が続いた。

 

 平和な日々が続いていたが,ある日僕は悲しい出来事を起こしてしまう。普段はモンスター狩りをしていなかったのに,その日はなぜか自島で調子に乗ってモンスターを攻撃し,反撃され,傷付いた状態の自分のリヴを見て慌てふためき,なぜかその場から離れるという判断ができず,あっさりと4年半大事にしたリヴを喪うという事件を起こしてしまう。その時の感情は,何となく今の僕の感情と似ていて,後悔するというより,失ったものの大きさに無気力になるという状態であった。そこからまた新しくリヴリーを飼い始めたが,その時はかなりリヴリーから気持ちが離れていたように思う。餌をあげるくらいの日々が続いた。

 

 

 

 今のこめこ団員のアカウントを作ったのは,それから1年くらい後のことで,気持ちを切り替えてリヴリーを飼い直そうという気分になった。リアルの友人はだいぶやめてしまっていたけど,喪った4年半を穴埋めしようとしていたのか,ちゃんと育てようという気持ちになっていた。名前が思いつかなかったので,「こめこロールパン」から名前を取って,「こめこ団員」を名乗ることにした。島名も「こめこロールパン」にした。

 

 ではなぜ,2の島名が「危険報知」なのか。きっと気になっていた人も多いだろう。恥ずかしい話であるが,中学生でいわゆるイキリキッズ達だった僕とその知人達は荒らしの追っかけにはまっていた。その流れで荒らしの情報をお知らせする島,「危険報知」という島をつくったのだった。そしてこの頃に飼い始めたのがその後9年間を共に過ごすことになる臨時隊員であった。当時はアメノヒグラシだった。

 

 もちろん僕が荒らしの追っかけになった理由もあって,こめこ団員のアカウントをつくってしばらくして,Pアカロンという荒らしに絡まれた。「リヴを強くする技を教えるので,一緒にモン狩りしませんか?」という感じで誘われた。怪しかったので,「昔リヴをモンスターにやられて死なせてしまって…」と言ったら———今でも鮮明に覚えていて,「それは…」「おめでとう!」と言って/bigshockを鳴らされたのだった。当時は祖母の家にいてリヴを開いていたのだが,とても憎い気持ちになったのをよく覚えている。

 

 この荒らし追っかけの日々が終わるきっかけになったのは,あるリヴラーとの出会いだった。はじめて僕の島にやってきたときには「どんな活動をされているんですか?」と聞かれ,てっきり仲間になってくれるのかな~と思ったら,「その活動は意味があるのですか?」という具合にだんだんと問い詰めてくる。その人は大学生で僕は中学生だったから,当然イキリキッズの僕に勝ち目はなかった。最後に「もうこんなことやめて,もっと素直にリヴリーを楽しんだ方がいいよ」と言われ,「(ああ…そうだよな…)」と思った記憶がある。このやり取りの後,仲直りとしてTCをくれるというので,好きなリヴリーを教えて欲しいと言われた。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが,僕はクイが好きだと答えた。けれどもどうやらクイのTCは持っていなかったようで,2番目に好きだったヘンプクジンチョウ———僕が初めてのハロウィンで出逢ったリヴリー———を伝えたところ,快くTCのコードを教えてもらった。僕がヘンプクをここまで愛している原点はここにある。

 

 

 

 その後は色々なチーム活動に参加したり,幹部として活動したりして,2013年の初めの頃,あるチームに出会う。それが/team ↑↑向上活動委員会↑↑だった。このチームは意欲的にイベントを開いていて,過疎化の進むリーダーを中心にリヴリーを盛り上げようとしていた。僕もこのチームのイベントに何度か参加して,チームに参加した。当時は高校生で十分な時間は取れなかったけれども,一生懸命だった。一気に交流の幅が広がったし,楽しみも増えた。今のこめこ団員の活動の原点は間違いなくここにある。ところが2014年に入ってリーダーが音信不通になり,チーム活動も回らない状態になっていった。チームは自然消滅していった。

 

 ↑↑向上活動委員会↑↑を離れた後,再び別のチームを立ち上げたが,リヴリーの過疎化に危機感がさらに強くなっていく。「もっと大きく動かさなければならない…」という思いから「新チーム設立委員会」を立ち上げて一緒に活動してくれる仲間を募り,2015年8月には/team PRLCとしてチームが立ち上がる。/team PRLCはメンバーに恵まれたこともあって急速に拡大した。メンバー数は20

0匹を超え,僕自身は2016年の8月にリーダーを引退したが,その後ランキング9位にまで上昇するほどの盛り上がりを見せた。ここでも多くのリヴラーと出逢うことになる。大学生で比較的時間に余裕だったこともあり,頻繁にオフ会も開き,楽しいリヴライフが続いた。

 

 

 

 2018年にはスマホ化の発表があり,リヴリーを盛り上げるという僕の出番は無くなってきたのではないかと思い始める。リアルの方でもやりたいことが出てきて,そろそろ引き際か……と思い,2019年2月に就職に際して他のリヴラーと交流を断つ「実質引退」をすることにした。4月に就職し,それからは怒涛の日々が続き,なんとか週1で餌をあげるという日々が続いた。

 

 その中で11月1日の突然のサービス終了告知。リアルのアカウントでリヴの公式をフォローしていたのですぐに分かった。すぐに復帰し,今日に至るまで様々な企画を行った。リヴラーと楽しい時間を共有したい,その思いが本当に強かった。僕はイラストも描けないし,レイアウトも下手くそだけれども,他のリヴラーと「楽しい時間を創る」ことはできる。実際はやはりリアルが忙しくて中々思うようにはいかなかったけれども,たくさんのリヴラーと一緒に大切な時間を過ごすことができたし,たくさん記録を残すこともできた。この2か月間は今までのリヴリー人生の中で一番濃いものとなった。

 

 

 

 正直,全く書ききれない。ここには書けないような黒歴史もあるし,深い悲しみは言葉には表せない。もう永遠に会えないであろう人をたくさんリヴリーアイランドに残してきた。関わってくれた人達には感謝してもしきれない。特に運営の皆さん、文句ばっかり言っててごめんなさい。最後に皆さんのリヴリーへの愛をたくさん見ることができて嬉しかったです。ありがとう。

 

 僕はリヴリーと共に,リヴラーと共に,青春時代を過ごした。このタイミングは僕の青春時代を終えるという意味ではちょうど良いタイミングだったのかもしれない。僕の軌跡をこのような形で残した所で寂しさは深まるばかりだけれども,この別れがやはり必要だったという思いも強くなっていく。いろいろな感情をごちゃまぜにしたまま,時が過ぎていく。

 

 はじめに僕はリヴリーを始めたのは2004年9

月のことだと書いたが,いつの間にか15年も時が経っていた。小学2年生が今や社会人1年目である。今この文章を書きながら,走馬灯のように15年間の記憶が次々と蘇る。リヴリー達はフラスコに帰ることになったが,片割れのもう1つのフラスコはこの僕の中にある。15年間の記憶をこの心の中にひっそりと留め,これからも生きていくことにしよう。URLに“l”を入力したときの設定もそのままにしておく。ありがとう,そしておやすみ,僕のリヴリー

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スノパにて。
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